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横浜と信濃屋
横濱・馬車道に信濃屋あり
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馬車道と、洋品の歴史と共に
信濃屋は創業者吉澤長次郎が信濃(信州松本)から開港まもない横浜に出て、1866年(慶応2年)に創業した老舗洋品店です。
薩長同盟が成立したり、池田屋事件が起きたりと、日本の歴史の転換点ともいえる年に、信濃屋は産声をあげました。
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当時の横浜は生糸や日本茶の輸出港でしたが、長次郎は逆に西洋の商品(当時
唐物 といった)を日本に輸入することを考えたのです。
最初は居留地の外国人が顧客でしたが、だんだん日本の洋風化、洋装化がすすみ、世界の洋品をお求めになる先進の日本人のお客様がふえていきました。
三代目の吉澤房次郎は1898年に二代目から店を引き継ぎ、1906年に中国(清)の杭州支店を開設しました。
創業以来、横浜・馬車道で、皆様に永く愛される「本物」の洋品を取り扱ってまいりました。
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明治の終わり頃に撮った写真に、いわゆる鹿鳴館時代のバッスルライン(おしりが膨らんで見えるボリュームのあるスカート)のドレスを着た外国人の女性が写っていました。
その後ろにはローマ字で「SHINANOYA」の文字。
これが、我々のお店の原点です。
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バッスルラインとは
バッスルとは、スカートの後ろの部分を膨らませるために用いる腰あてや枠のこと。
バッスルを入れてヒップラインを美しく大きく膨らませたシルエットのこともバッスルラインと呼びます。
ウエストを細く見せるため、女性らしくエレガントな印象があります。
19世紀半ばから20世紀初めに流行しました。