洋傘(こうもり傘)
戦前傘と云えば大人は絹張り、学生は木綿、色は何れも黒のみで現在のようにカラフルな物は有りませんでした。特に私達子供が使っていた木綿のものは、日傘ではないのに使用しているうちに変色し、よく羊羹色になってしまうと云われていました。
私が信濃屋に入社した頃、元町の代官坂に伊勢勘という傘屋があり、そこの主人(職人)を大先輩なのに”小島の仙ちゃん”と呼んでいました。信濃屋のオリジナル傘は、婦人物も含め全て彼が一人で作っていたと記憶しています。そのときに作って貰った”支那絹紬”(シナケンチュウ)の日傘を今でも大事に持っています。昭和30年頃でしたが、サミュエル・フォックスの骨を使った丁寧な作りは、近年のものには無い雰囲気です。
戦後、化学繊維が普及し殆どがナイロン傘になり、昨今は透明のビニール傘が主流です。昔ながらの黒のこうもり傘も、いざという時には持ちたいものです。
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