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トレンチコート

トレンチコート(TRENCH COAT)

映画の中での着こなし

 ハンフリー・ボガードの『カサブランカ』、ロバート・テーラーの『哀愁』、少しマニアックになりますが1960年代にスティーブ・マックイーンが主演した『マンハッタン物語』など。トレンチコートにハードボイルドで強烈なイメージを植え付けたのは、スクリーンの中のムービースター達です。新しい物ではなく、少し着込んでナチュラルな感じは何とも言えない雰囲気があります。
 映画での着こなしを参考に取り入れる事で、自分のスタイルを確立する上での近道になるのではないかと思います。

ミリタリーからのディテール

 イギリス軍がクリミア、ボーア戦争に於いて、制服用コートとして用いられていたバーバリー社やアクアスキュータム社に機能優先のディテールを備えたコートの開発を要望した。そして第一次世界大戦でイギリス陸軍の兵士が着用したのがトレンチコートの始まりです。
(バーバリー社が1880年代に特許を取得したタイロッケンコート/TIELOCKENが元となって作製されたとも言われている。)

 塹壕(トレンチ)の中で戦う歩兵を険悪な天候から守る為、全天候型コートが必要となった。フロントのダブルブレストは風向きによって両前で着られ、動き易さを考えた袖付けはラグランスリーブ。袖口に付けられたカフ ストラップは手首に雨や風が入らないようにした物で、エポーレットは肩から銃や双眼鏡を下げる為の留め具でした。

ヨーロッパからアメリカへ

 1920年代後半にはトレンチコートの流行は大西洋を超え、アメリカの学生達 に伝わりました。それまで、黄色い防水用のオイル・スリッカーがレインコートの定番でした。お洒落を強く意識したアイビーリーガーは、ギャバジンやライニングにフランネルをあしらったゴム引きのトレンチコートを着るようになりました。

信濃屋での英国製コート

 バーバリーのコートを取り扱い始めたのは1930年代になります。
 当時は綿だけではなく、ウールギャバジンを使ったモデルも展開していました。 その後 第二次世界大戦が始まり一旦入荷は途絶えてしまいましたが、1960年代入り日本エージェントが創設され再開されました。
 弊社では綿ギャバジンを使い、基本的なシングル・バルマカーン(G.W.B.Ⅱ)とトレンチで3色を選び展開しました。DK46番は今でも人気の代表的な色。 DK45番と53番はグリーン系、茶系の玉虫になり、裏地のチェックは夫々表地に合わせた柄を使用していました。
 因みにG.W.B.Ⅱは、GENTLEMAN WALKING BURBERY 2PIECESLEEVEの訳ではないかと思われます。また色番の前に付くDKは、ベルギーの生地メーカーDRAKKER。薄手の軽いポリエステル生地に表示されているSTは、スイスのSTOFFEL社製ではと推測されます。

 一方の雄アクアスキュータムは、1970年代になってから取扱いをはじめました。当時の極東セールスマネージャーだった英国人のポール・ベネット氏を通して、数多くの生地サンプルの中から好きな物を選び、型も自由に決める事が出来ました。その後トレンチの展開も有りましたが、オーバーを中心にオリジナルの“アクアスキュータムコート“として色々なモデルを作製し販売していました。

※1960年代前半までは貿易の自由化が認められておらず、輸入品として店頭に並べられた物と云えば全てアメリカ製品でした。その様な時代背景の中、特別なルートで入って来たSwallow(英国製)のウールコートは、既にお客様(上得意顧客)への行き先が決まっていて、店頭にお目見えする事なく品切れとなったという逸話もあります。

参考文献
・スタイル社『エスカイア版20世紀メンズ・ファッション百科辞典』 (日本語版)
・婦人画報社『男の定番辞典」 「別冊 MEN’S CLUB アイビー PART 2』
・アシェット婦人画報社『NEW MEN’S CLUB BOOK No.1 コート』
・万来舎 大西基之氏著『メンズ・ウエア素材の基礎知識[毛織物編]』

 

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