オリジナル靴下 (ロング・ホーズ)
靴下の起源
編物で作られている靴下の歴史的記録は少なく、保存品もまれです。しかし、一本の糸と一本のかぎ針があれば編目が作れることからすれば、その起源は相当古いものである事は想像出来ます。
考古学的には、紀元前に作られたと思われる編物の一部が発見されています。エジプトのアンチーノの町から衣類などと一緒に見つかった靴下は、編目を増やしたり減らしたりした完全な編物で4〜5世紀頃の子供用の靴下でした。
(イギリス レスター美術館、ビクトリア・アルバート美術館所蔵)
またカイロのフォスタット遺跡で発掘された7〜9世紀頃の編物は、1インチに36目の精巧なもので靴下のほか、帽子も編まれていたらしいことから編物の技術がこの時代すでにあった事を物語っています。
靴下の発展
靴下は防寒衣料としての必要性のほか、聖域につく人が足を不浄な大地に付けない為に着用していました。その聖職者が布教とともに編物を広く普及させていったことは、1395年の宗教画の中で聖なる子供の上着を編んでいる聖母マリアが描かれていることからも分かります。(画家マスター・ベルトラム ハンブルグ Kunsthalle所蔵)
その後、手編みのメリヤスが栄えていたエリザベス女王時代の1589年、イギリスのウィリアム・リー(Willam Lee 1563〜1610年)によって独創的な手動の編機が発明されました。当時はゲージの粗い太い糸でしか編めず、改良が重ねられていきました。編機の技術は弟ジェームスと徒弟らに受け継がれ、順次ヨーロッパ各国に普及していくのですが、エリザベス女王が初めて手編みの絹靴下を履いたときに「もう二度と布帛の靴下は履きたくない。」と云ったことがJ・ストーの「イギリス年代記」に記されていることからも布帛の靴下が存在していた事が分かります。
20世紀のアメリカ
20世紀初めの男性用靴下は全て履き口がゴム編みに作られていて、履く時にはゴムの帯紐か、絹の帯紐のガーターで留められていました。ウールは秋冬用で綿や絹はそれ以外の季節に用いられていたようです。そして釦留めの深靴が紐留めの短靴に代わってきた第1次大戦後に靴下も裾から見える様になって、アメリカ男性の間でファッション意識の高まりが反映しはじめました。
1920年代中期になるとお洒落なゴルファーが美しいセーターやニッカーに合わせた多様な色柄の靴下を履くようになりますが、当時アメリカには柄物を作れる機械はほとんどなく、全て輸入していました。
1930年代になって個性的な模様を新しい機械で生産可能となりましたが、ゴルフ用以外の靴下は保守的なものが中心でした。また30年代は、最先端の流行を装った英国人が様々なファッションをもたらし、そのひとつの影響がさっぱりとした柄でおとなしい色のハーフ・ホーズ(現在のショート丈)でした。1938年頃には、ちょうど膝下までの履き口にゴムを入れたロング・ホーズが一般に受け入れられる様になっていきました。繊維としてのナイロンは1939年のニューヨーク万国博で紹介されましたが、男性用の靴下に広く使われる様になったのは、第2次世界大戦以降の事でした。
1940年代の終わりには柄物(アーガイル、ヘリンボーン、チェック、ボーダー、ペイズリー、ドットなど)の靴下が売上量の60%を占め、戦争が日本からの絹の供給を停止させた為、柔らかい人造繊維の靴下が登場していました。
1950年代初期は超保守的な時代で、グレイフラノのスーツは肩がナチュラルで襟は細く、パンツはスリムでした。その関係から靴下も小柄模様や縞柄または、クロック付きの無地といったシンプルな靴下が要求され、適切な場所で適切な服を着るという考え方もこの時代に強く生まれてきました。50年代後半になると超保守的な傾向はスーツなどには見られなくなりましたが、靴下には依然として残っていました。
1960年代初期に靴下は、ビジネス用・週末用そして行動的なスポーツ用の靴下と3つの種類に分けられました。また身だしなみが良いと自負している男達は、誰もがクルー(くるぶし)・ふくらはぎの中間・ふくらはぎ全体を包むといった3種の長さの靴下をワードローブに持っていた様です。
1970年代になると靴下の編み柄をより効果的に表現する為、異素材の混紡が多く用いられ、特に若い人にとっては最も重要なアクセサリーとなり、ファッション全体を表現する場合に欠かせない部分として定着していきました。
日本の靴下
日本最古の靴下と云われているのは、外国製品として水戸家に献上され、水戸光圀(1628〜1700年)が使用したとされる靴下です。江戸中期には、既に手編みの方法が日本に入っており、足袋の代用品として靴下も編まれていた様です。
その後、明治初期には手動の靴下編機が輸入され、日本でも本格的に靴下工業が始まりました。1936年(昭和11年)にゴムを利用した日本最初のストレッチ靴下が内外編物株式会社(現 (株)ナイガイ)より販売されています。
以降、工業製品として靴下は技術革新とともに編地や編み柄、素材などについてめざましい進化を遂げています。
※「「メリヤス」と云う言葉は外来語で日本への伝来は、南蛮時代の永禄10年(1567年)から寛永12年(1635年)の間が定説となっています。語源は、当時のポルトガル語のメイアス(MEIAS)あるいは、スペイン語のメディアス(MEDIAS)のいずれかであろうとされ、意味は「靴下」です。
※「クロック」とは、靴下のくるぶしの上あたりに光沢のある対照的な色糸でワンポイント刺繍を施したり、両サイドに縦型の編み込み模様を入れたりした柄のことで「スイスクロック」と呼ばれる柄もあります。
参考文献
・スタイル社『エスカイヤ版20世紀メンズ・ファッション百科辞典』(日本語版)
・(株)ナイガイ 「靴下博物館」資料
・朝日新聞デジタル 『靴下の研究」』出石尚三著
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