「SHOES」
靴の起源と歴史
最古の「靴」は、紀元前3000年程前、現在のイラク南部に栄えたシュメール文明の遺跡から発見された陶器製の靴にまで遡ると云われています。この頃既に外部の環境から足を守る為に、足全体を包み込む形の履物を履いていたことがその形状から推測されています。
文明が発達するに連れ、靴の形も環境や風土の影響を大きく受け、変化していきます。紀元前2000年頃のエジプトでは、貴族や高官が、シュロの葉や動物の革で作ったサンダルを履き、特に王や女王のサンダルは、金銀宝石で装飾がされていたにもかかわらず、一般人は裸足だったそうです。
古代ローマになると、さらに靴は権力や地位の象徴になり、貴族階級の他、兵士も遠征用にサンダルを使用しています。 またローマには靴屋街があり、組合も生まれ、一般市民の男性は一枚革のモカシンタイプを履いていたそうですが、皇帝はスリッパを履き、裁判官は赤い靴を履いていたと云う記録もあります。
その後8世紀になると、兵士は甲を覆う長めの半長靴を履くようになり、14世紀には、現代で流行しているような、つま先が尖って反り返った靴が登場します。 また靴に初めてヒールが付くのが1590年頃で、紐付きの短靴は1790年頃になります。アメリカで初めて靴が作られたのは1628年のことで、さらに1800年代に入ると靴の流行が次々と生まれていきます。それは、1871年に普仏戦争でフランスが敗北し、流行の中心がイギリスに移ったことによるそうです。
コンビネーションの短靴をリゾート用に履きだしたのが1880年頃。 またホワイトバックスが、オックスフォードの学生にスポーツ観戦用として愛用され、現在のスニーカーを履き始めるのも、この頃と云われています。
20世紀の初頭になると、利便性や快適さより、エレガントな着こなしを求めた紳士の間で、布のタブが付いたボタン留めの深靴や、履き口の上半分が布地で作られたドレッシーな靴が席巻します。そして1930〜1950年代には、アメリカでローファーやスリップオンが大流行して、日本のIVYブームへとつながっていきます。
日本の靴文化
洋式の靴が履かれるようになったのは、江戸時代末期から明治時代初期の頃で、最初に洋式の靴を履いたのは、坂本竜馬だと云われています。明治維新になり、鎖国制度が撤廃されても一部の人々を除き、靴を履く習慣は一般化しませんでした。
明治以前の日本では、日本家屋の構造と密着した、下駄や草履を中心とした独自の履物文化が成立しています。それは殆どのスペースが土足厳禁で、家への出入りの度に履物を脱ぎ履きする紛らわしさから、日常の履物として利用されていた為です。
庶民が靴を履く機会は、徴兵による軍隊生活の期間にほぼ限定されています。そしてその靴は、「粗悪の靴」を改良無しに長年支給して来たことで、庶民にとって「履き心地の悪いもの」との印象を与え、普及を妨げる一因になったとも云われています。
その後、第二次世界大戦の敗戦で、急速に「アメリカ化」が進み、服にも変化が現れていきます。また当時は、徒歩が最大の移動手段だった為、紐付きが革靴の中で主流を占め、男性達にとって、十分に足をサポートすることが出来る革靴は、必需品だったようです。
1960年代に入って、ようやく戦前の生活水準にまで立ち直り、1970年代には、モータリゼーションの到来とともに、日本人のライフスタイルも欧米と同じレベルに変わっていきます。またIVYブームでローファーが大衆化し、以後の靴の主流は、スリップオンタイプに移行していきます。
信濃屋の靴
1872年(明治5年)に創業した大塚製靴が、1965年に英国のChurch’sを取扱い始めた頃、信濃屋でもCrockett & Jones やJohnston & Murphy、Florsheimなどが店頭に並び始め、1970年代後半には、Church’sでオリジナルを作らせるようになります。
その後、1980年代から1990年代にかけては、Silvano Lattanziで数々のモデルを作らせていきますが、当初はZINTALAのブランド名で取扱いを始めます。最初の頃は履きにくい靴で、オリジナルとして作らせるようになってからは、弊社の白井が絵を書いて補足し、シルバーノが来日した時に修正等をしています。
1990年にイタリアのマルケにある自宅兼工場へ行った当時は、まだまだ家内工業で、家族が仕上げまでするような靴屋でしたが、E,Zegnaの靴を作り始めた頃から価格が上り始め、当店では取扱いを減らしていきます。
1990年代から2000年代にかけては、Edward Green、Peron & Peron、Allen Edmonds等、あらゆるインポートの靴を取扱っていきますが、徐々にインポート靴のブームと共に価格も上昇し、当店では国内へとシフトしていくことになります。
まずORIGINALを展開する為、1998年頃に日本で最後の木型職人とも云われた、故 横山氏にオリジナルの木型を作って頂くことになります。しかし残念ながら完成後、半年位して横山氏は亡くなられています。それ以降、信濃屋では1〜2年位のペースで2型ないし3型を提案し、お客様にオーダーを頂きながら、現在ではオリジナルモデルが32型になっています。
今回ご紹介のサドル・シューズも、Johnston & MurphyやBostonianをはじめ、ORIGINALでは過去に2度、コードバンで作製しています。
参考文献
・大塚製靴 株式会社 ホームページ
・日本靴卸団体連合会 ホームページ
・MEN’S CLUB 別冊 「The Shoes」
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