洋傘 (UMBRELLAS)
洋傘の歴史
世界では、おおよそ4000年ほど前から傘が使われ始めたとされています。中東の壁画や彫刻にも見られるように、当時は雨よけではなく貴族の夫人や高僧たちが日傘に使用し、権威の象徴として誕生したと云われています。
古代ギリシャ時代には一般にも使われ、13世紀になるとイタリアで現在と同じ開閉式タイプも作られます。当時は鯨の骨や木がフレーム材料として使われていたとの事です。
その後、イタリアからスペインやポルトガル等の南ヨーロッパに広まっていき、フランスへは16世紀に、メディチ家のカトリーヌがアンリ王子に嫁いだ時に伝わったとされています。当時のフランスでは日傘として使われながらも、女性のアクセサリーなど色々な使い方もされ、街中で2階から投げ捨てられる汚物をよける為の必需品だったと云う話もあるようです。
イギリスにおける紳士傘
女性の持ち物だった傘は、18世紀後半のイギリスで男性が本格的に雨傘として使うようになっていきます。それまでの男性は帽子で雨を防ぐのが普通でしたが、ある程度の年月をかけて傘をさす事に違和感が無くなり、一般的になっていったようです。また傘の持ち手をステッキと同じにすることで、更に広まっていったとの事です。
1868年になるとトーマス・フォックスにより、ロンドンにフォックス・アンブレラズが誕生します。それまで鯨骨製が中心だった傘のフレームは、メタル素材でU字型断面の骨を1852年に英国スティール社を設立したサミュエル・フォックスが考案したことにより、現在の傘が出来上がったとされています。創業以来、品質と技法に拘りシンプルで美しい傘を作り続け、1947年にパラシュートのナイロンを利用して、世界ではじめて化学繊維の傘を開発するなど、常に専門ブランドとして傘の歴史にはかかせない存在です。
日本での洋傘
日本における洋傘は、1804年(文化元年)長崎に入港した中国からの船の舶載品目に「黄どんす一本」と記述されていて、現在洋傘として特定できる最古の記録と云われています。それ以前の安土桃山時代にも、堺の商人が豊臣秀吉に傘を献上した記録など、洋傘が海外から持ち込まれた形跡はあるようですが、洋傘と断定出来るのは、「黄どんす」が初めての物と思われます。”どんす”とは、中国から渡来した絹織物のことを指し、黄色の絹の傘だった事を想像させます。
1880年頃には輸入した傘骨などを使い、日本でも洋傘が作られるようになり、東京本所で洋傘製造会社が設立されたとの事です。その後の鹿鳴館時代や、大正時代に流行を牽引していたモダンガール達が、定番アイテムとして洋傘を持つ事により、上流階級のみならず、広く一般の人々にまで洋傘が使われるようになっていきます。
信濃屋における洋傘
1949年に元町に店舗が再開された時から、洋傘を取り扱っていたかはさだかではありませんが、1955年以降はオリジナルとして日本の職人に製作を依頼し、傘を販売していたようです。当時はサミュエル・フォックスの骨に日本製の生地を張った細巻きの紳士傘や、婦人物では16骨のものを展開していたとの事です。
本格的に貿易が解禁になった1960年代からは、イギリス製の紳士傘やフランス製の婦人日傘を取り扱うようになったと聞いています。その後70年代以降は、スウェイン&アドニーなどの堅牢なソリッドタイプなども扱うようになり、現在ではフォックス・アンブレラズを中心に展開しています。
参考文献
・日本洋傘振興協議会
・傘Diary
・エスカイア版『20世紀メンズ・ファッション百科事典』
・Wikipedia
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