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生糸

生糸

シルクロード

シルクロード

富岡製糸場

富岡製糸場
(写真提供:片倉工業株式会社)

富岡製糸場での繰糸風景(昭和15年頃)

富岡製糸場での繰糸風景(昭和15年頃)
(写真提供:片倉工業株式会社)

明治末の店舗(横濱成功名誉鑑より)

明治末の店舗(横濱成功名誉鑑より)

アメリカのオークションで入荷したスカーフ

アメリカのオークションで入荷したスカーフ

復刻した鹿鳴館ドレス

復刻した鹿鳴館ドレス

絹(Silk)

絹の歴史

 今回はアイテムではなく、高級素材で知られる「絹」について掘り下げて行きたいと思います。

 人間の纏う天然繊維としてリネンやコットンと同じく、シルクも古い歴史があると云われ、今から約5000〜6000年前に中国の黄河や揚子江の流域で野生のクワコを家畜化したのが始まりとされています。当初の養蚕は、中国の宮廷内だけでひっそりと行われていましたが、紀元前1000年頃になると、一般の農家にも生産させていたようです。

 その後、西域との貿易が始まった紀元前200年頃には、異民族を支配する道具(褒美)として使われ、やがて絹の魅力は中東、そしてローマへと広まっていきます。この交易ルートが「シルクロード」と云われ、東西文化の交流に多くの役割を果たすようになります。

日本での絹

 中国が西域との貿易を始めた頃と同じくして、日本への移住者が稲作と一緒に養蚕技術を伝えたと云われています。その後、絹織物の技術も伝わり、奈良時代には北日本を除く全国各地で養蚕が行われ、税として朝廷に徴収されていたとの事です。

 平安時代に入ると、日本独自の紋様の絹織物が作られるようになり、京都以外にもその技術が広まっていきます。室町時代には、糸に撚りをかける撚糸の技術が中国から伝わり、能装束や小袖飾りなど実用性を離れ、権力を誇示する為のものも多くなっていったと云われています。江戸時代は京都の西陣から技術を学んだ、加賀友禅、米沢織、結城紬など、独自の織物が各地方で作られるようになったようです。

 1870年代になると製糸の機械化が大きく進歩し、フランス式の最新機械が導入された富岡製糸場が建設され、生糸の生産量が増える事になります。その結果1900年頃には、世界一の生糸輸出国だった中国を抜き、最盛期の1930年前後には、年間4万トン以上の生糸を生産、その内3万トンを輸出していたと云う記録が残っています。

 その後、第二次世界大戦や化学繊維の登場により激減し、戦後の復興で一時的に生産量は増えましたが、現在では繭を作る養蚕農家も少なくなり、良い絹織物を手に入れる事が難しくなってきています。

横浜と絹

 ご存知の通り横浜と絹の関係は密接で、特に開港してからの約80年間は、多くの生糸や絹織物が横浜の港から世界各国へ輸出されていったとの事です。生糸は長野県、群馬県、山梨県、埼玉県西部各々から八王子を通り横浜に運ばれて、「絹の道」と呼ばれるようになります。

 1890年頃には鉄道が建設され、現在の中央線、横浜線は生糸を運ぶ為のものだったようです。その中でも、近年世界遺産に登録された群馬県の「富岡製糸場」は、三渓園の創始者「原 三渓」が36年の長きにわたり経営に携わった事からも、当時の横浜には無くてはならない産業だったと云えます。

 原 三渓は、生糸が生み出した莫大な富を使い、横山大観や下村観山などの日本画家の支援や育成を行います。また広さ53,000坪に及ぶ三渓園には、京都や鎌倉から歴史的建造物を移築し、文化的な面でも横浜の発展に大きく貢献しています。

信濃屋における絹製品

 1910年に開港50周年を記念して出版され、その当時の横浜で成功した人々を紹介した「横濱成功名誉鑑」によると、三代目の吉澤房次郎は1898年に二代目から店を引き継ぎ、1906年に中国(清)の杭州支店を開設したと記術されています。

 当時から国内外の顧客に信用が厚く、豊富な品揃えと優良な商品を展開していたようで、その文献には「本邦雑貨の輸出販売」と書かれています。おそらく輸出していた商品は、横浜での主力産業であった絹製品ではなかったかと思われます。

 写真のシルクスカーフは、大正から昭和初期くらいにオリジナル商品として作ったもので、椎野正兵衛商店の椎野氏がアメリカのオークションで手に入れた数少ない貴重なものです。震災や戦争で当時の記録は殆ど残っていませんが、帽子等をはじめとした輸入品や日本製のスカーフ、ネクタイ、傘等の雑貨を中心に販売していたのではないかと思います。

 1960年代に輸入が解禁されてからは、イギリス、イタリアのネクタイや雑貨が少しずつ店頭にならぶようになり、輸入のコート、スーツ、ジャケットの洋服類もシルク製品を扱うようになっていきます。印象に残る商品としては、コートでアクアスキュータムの毛皮付のものや、シーラップの中綿入りライトウエイトなモデル。スーツではE.ゼニア、ラバッツォーロ、L.バルベラのドレッシーなシングルピークドラペルを展開しています。

 今年からは紬で有名な結城にある奥順㈱が、洋服用に織り上げた生地でパターンオーダーを承っています。また椎野正兵衛商店が150周年を記念して、横浜の手捺染で仕上げた22匁正絹の古代柄(稲妻模様)を再現し、当社で鹿鳴館ドレスを復刻しております。

 


参考文献
・Wikipedia
一般財団法人大日本蚕糸会
片倉工業株式会社
横浜観光情報
・横濱成功名誉鑑

 
 

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