横濱鹿鳴館ものがたり
横濱・馬車道に信濃屋あり
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馬車道と、洋品の歴史と共に
信濃屋は創業1866年(慶応2年)の老舗洋品店です。
薩長同盟が成立したり、池田屋事件が起きたりと、日本の歴史の転換点ともいえる年に、信濃屋は産声をあげました。以来、横浜・馬車道で、皆様に永く愛される「本物」の洋品を取り扱ってまいりました。
明治の終わり頃に撮った写真に、いわゆる鹿鳴館時代のバッスルライン(おしりが膨らんで見えるボリュームのあるスカート)のドレスを着た外国人の女性が写っていました。
その後ろにはローマ字で「SHINANOYA」の文字。
これが、我々のお店の原点です。
当時は日本人だけでなく、外国人居留地に住む外国人向けにも洋品を扱っていました。 -
鹿鳴館時代とは
鹿鳴館(ろくめいかん)とは、外国からの賓客や外交官を接待するために、明治政府が建てた社交場です。欧化主義が広まった明治10年代後半を「鹿鳴館時代」とも呼びます。
鹿鳴館は外国からの賓客接待ばかりでなく、天長節(11月3日、明治天皇誕生日)の祝賀会行事など、国内行事にも使われました。夜会、舞踏会、高官婦人による慈善事業なども行われ、注目を浴びました。(写真:落成当時の鹿鳴館 出典:ウィキペディア)
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バッスルラインとは
バッスルとは、スカートの後ろの部分を膨らませるために用いる腰あてや枠のこと。
バッスルを入れてヒップラインを美しく大きく膨らませたシルエットのこともバッスルラインと呼びます。
ウエストを細く見せるため、女性らしくエレガントな印象があります。
19世紀半ばから20世紀初めに流行しました。
馬車道に鹿鳴館時代を再現
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信濃屋オリジナルのレトロ服は、当社でオーダー服を手がけるベテランスタッフたちが、本業の合間を縫って作成しています。
震災や戦災で、当時のものはほとんど何も残っていませんが資料などを参考に一針一針、心をこめて丁寧に作っています。レトロ服は、明治時代の馬車道を再現するイベント(馬車道商店街協同組合主催の馬車道マルシェ、馬車道まつり)の演出にも一役買っています。
貴婦人たちが馬車や人力車に乗ったり、赤煉瓦の道を歩く姿は、まさに鹿鳴館時代を思い起こさせる華やかなものです。