開襟シャツ(Open Shirt)
シャツの歴史
シャツの起源は、古代ローマで着用されていた「チュニック」に遡るとされています。 現代で云うワンピースのような形状のもので、基本的には大きな変化も無く中世までに至ります。
ヨーロッパは中世になると釦や襟、袖口などが付加され、現代シャツの形状に近いものになっていきます。 またシャツの前立ての男女差(男性/左前、女性/右前)もこの時期に由来すると考えられているようです。
ルネサンス期には貴族階級の間でフリルやスリットなどの装飾化が進みますが、徐々に簡素化し始めて19世紀に現代シャツがほぼ確立したと云われます。
19世紀のシャツの特徴は多様な襟の形状が現れたことで、それ以前の立襟が一般的だったものに折襟が初めて登場したことにあります。
20世紀に入るとシャツの多様化がさらに著しく進み、現在の種類の大部分はそれ以降に誕生して人類共通の衣類となっていきます。
(Web Shop 2015年6月・2016年7月版をご参照下さい。)
日本のシャツ文化
シャツは、民衆の一般的な服装が和装であった明治時代初頭に日本にもたらされています。 文明開化の名のもとに東京近辺で洋装の導入が進みますが、装う人は「キザ」とか「西洋かぶれ」などと云われ、ネガティブなイメージで見られていたようです。
その後 都市部では普及し、シャツの着用も一般的になっていきますが、農村部では第二次大戦頃まで和装が普通で、戦後の日本文化がアメリカ化するとともに洋装が広がっていきます。
元来、下着であったシャツの着用は、裾をスラックスの中に入れることとされ、カジュアルな場であっても非常にみっともないと考えられています。 しかし、日本でシャツを外に出すようになったのは、上着としての機能をもっていた「アロハシャツ」を別にすれば、1960年代のIVYファッションからではないでしょうか。
雑誌「平凡パンチ」などで「VAN」のコットンパンツにマドラスチェックのシャツの裾を出して着るスタイルが紹介され、さらにシャツよりも下着に近いTシャツを出して着ることも目立っていきます。
一時期DCブランドの台頭で、フォーマルな服装が流行したことにより途切れますが、1990年代に入ると制服やドレスコードで定められた場合を除き、シャツの裾を「外出し」することが一般化していきます。
2000年代以降はファッションが多様化したことにより、シャツの「中入れ」「外出し」は使い分けられていますが、近年の気候やクールビズもあり、年齢を問わず服装の乱れが少し感じられます。
参考文献
・スタイル社 『エスカイア版20世紀メンズ・ファッション百科辞典』(日本語版)
・フリー百科事典「ウィキペディア Wikipedia」
・YOMIURI ONLINE「開襟シャツで”クール”にクールビズ」(2013年6月20日)
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